「民衆」から生まれるもの

  • 2018.11.16 Friday
  • 11:16

 

 

工房までのいつもの道に、音楽を爆音で流している家があります。

 

キャンディーズだったり、藤圭子だったり、ビートルズの日もあります。

 

音漏れレベルではなく、もはや周りに聴かせているとしか考えられない音量なので、近隣との関係はどうなんだろうと心配してしまいます。

 

 

道すがらの景色は、なんてことないのかもしれないけれど興味深いです。

 

 

建物はかなり古くて(失礼ながら)今にも壊れそうなのに、玄関前にたくさんのプランターで草花を飾り、通りすがりの人たちを楽しませている家。

 

営業しているのかわからない、背中のまぁるいおばあさんのタバコ屋。

 

昔ながらの鉄の塊のようなアイロンを使うクリーニング店。

 

夏のクリーニング店には、浴衣や祭りの法被が山積みで、店主も忙しそうでした。

 

老夫婦がやっていた八百屋は、先月末で閉店してしまいました。

 

駅前に新しい大きなスーパーがあるので、難しかったのだと思います。

 

 

数年後、今見ている景色は、どうなっているのでしょう。

 

 

下町風景

 

 

東京にはたくさんの人、営みがあります。

 

東京に暮らしていると、自分は「民衆」の一人に過ぎないと感じます。

 

 

工房の辺りはいわゆる下町で、おしゃれでキラキラの東京よりも、「人」や「自然」がしっかりと存在している気がします。

 

柳宗悦が「工藝の道」で言う「民衆」を自分が勝手に解釈しているだけなのですが、季節を感じ、人と繋がりながら、その土地で築いてきた暮らしの中から生まれたもの、、それは商店でのやり取りだったり、地域の慣習だったり、、時間をかけ工夫し、淘汰されてきた行いの中で息づいているものは、ある意味、民藝的だと思います。

 

特別な個人ではない誰かが日々の営みの中でつくり上げてきたもの、「物」に限らず、姿や在りようも、美しく愛おしいです。

 

 

 

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