「大拙を体験する」

  • 2019.09.24 Tuesday
  • 20:51

 

 

今年の5月から(8月を除く)、月一回、鈴木大拙を学ぶ会に参加していました。

 

私自身、民藝→柳宗悦→鈴木大拙、と興味が広がっていた頃でした。

 

 

 

偶然その時期に古本屋で見つけ読み耽っていたのが「大拙」で、その著者、安藤礼二氏が第一回目の講師。

 

臨済宗承元寺住職で英米文学者の重松宗育氏が第二回目の講師。

 

第三回は大拙の秘書であった岡村美穂子氏。

 

最終回は日本を代表するプロダクトデザイナーで日本民藝館館長でもある深澤直人氏。

 

 

大拙の思想、それに影響を受けたビート世代の人たち、人間大拙の姿、そして日本人としての美学や哲学を知る。

 

毎回、濃い時間でした。

 

 

 

禅だったり、西田幾多郎だったり、ジョン・ケージだったり、民藝だったり、参加者の関心は様々なはずなのに、鈴木大拙はそれぞれの領域に当てはまるし、いまだに(今の時代だからこそ)新鮮に感じます。

 

大拙がその後の芸術全体に影響を与え続けているからこそ、現代美術専門のワタリウム美術館でこのような講座が開かれたのだと思います。

 

大拙を体験する

 

 

 

*******

 

以下、自分への覚え書きです。

 

 

●西洋思想の二分性から生じる排他性、主我性。

それに対する東洋的な入不二法門。

「この世における有限の事と物とは、いずれも円融無礙的に参差し、錯綜する。」

「自由」とは、リバティーやフリーダムではない。

それらは「消極性をもった束縛または牽制から解放せられるの義」であって、「自由」とは「自ずから出るままの働き」である。

(「東洋的な見方」鈴木大拙)

 

●本来の自分に戻った時が自由。

人間意識が発達すると主観と客観ができる。

意識以前の自分、はからない自分が無限大。

(岡村美穂子氏の話)

 

●線1本引くのにも、主観と客観の間、意識と無意識の間に立つ。

ピカソが「子どもたちのように素描することを覚えるのに、私は一生かかった」と言ったように、美しいものをつくるのには自我を無くすまでの訓練が必要。

言葉にできないが「なんかいいんだよね」と直感的に感じるもの、普通なものがいい。

(深澤直人氏の話)

 

●「様々な美の相の中で、私たちは健康な美、尋常な美の価値を重くみたい・・・美の理念としてこれを越えるものはない。」

「物の存在価値は美的本質によるのであって、他の要素はこれに比べて二次的のものと思われる。」

(日本民藝館創立に当たっての柳宗悦の言葉)

 

 

 

新しい織機

  • 2019.03.07 Thursday
  • 20:21

 

 

新しい織機が来ました。

 

新しい織機

 

私が初めて織りを習ったお教室にあった機。

 

知っている人に譲りたいからと、声をかけてくださいました。

 

もう20年以上も前のご縁なのに、ありがたいことだし、ご縁って不思議だなぁと思います。

 

 

大きな機なので、私に使いこなせるかどうかが問題なのですが。。

 

 

先日、私の先生とそのご友人の染織家の方がいらして、組み立てとセッティングをして、使い方を教えてくださいました。

 

お二人とも、美術館で展示をされたり、作品がテレビや映画のシーンで使われたり、第一線で活躍されている染織作家さんですが、大工仕事のような作業も楽しそうにやってくださいました。

 

私には何だかわからないパーツもテキパキと組み立て、細かい微調整も丁寧で、出来上がった機に何度も「いい機だね〜」と言って。。

 

本当に織りを愛しているのだなぁと、間近で見て強く感じました。

 

あぁ、とても贅沢で貴重な時間でした。

 

 

まずはゆっくりと慣れていきながら、いろいろ織ってみます。

 

織りを始めた頃のワクワク感や自由な気持ちを鈍らせず、いつまでもキラキラ輝かせたまま持っていたいものだと改めて思いました。

 

 

「民衆」から生まれるもの

  • 2018.11.16 Friday
  • 11:16

 

 

工房までのいつもの道に、音楽を爆音で流している家があります。

 

キャンディーズだったり、藤圭子だったり、ビートルズの日もあります。

 

音漏れレベルではなく、もはや周りに聴かせているとしか考えられない音量なので、近隣との関係はどうなんだろうと心配してしまいます。

 

 

道すがらの景色は、なんてことないのかもしれないけれど興味深いです。

 

 

建物はかなり古くて(失礼ながら)今にも壊れそうなのに、玄関前にたくさんのプランターで草花を飾り、通りすがりの人たちを楽しませている家。

 

営業しているのかわからない、背中のまぁるいおばあさんのタバコ屋。

 

昔ながらの鉄の塊のようなアイロンを使うクリーニング店。

 

夏のクリーニング店には、浴衣や祭りの法被が山積みで、店主も忙しそうでした。

 

老夫婦がやっていた八百屋は、先月末で閉店してしまいました。

 

駅前に新しい大きなスーパーがあるので、難しかったのだと思います。

 

 

数年後、今見ている景色は、どうなっているのでしょう。

 

 

下町風景

 

 

東京にはたくさんの人、営みがあります。

 

東京に暮らしていると、自分は「民衆」の一人に過ぎないと感じます。

 

 

工房の辺りはいわゆる下町で、おしゃれでキラキラの東京よりも、「人」や「自然」がしっかりと存在している気がします。

 

柳宗悦が「工藝の道」で言う「民衆」を自分が勝手に解釈しているだけなのですが、季節を感じ、人と繋がりながら、その土地で築いてきた暮らしの中から生まれたもの、、それは商店でのやり取りだったり、地域の慣習だったり、、時間をかけ工夫し、淘汰されてきた行いの中で息づいているものは、ある意味、民藝的だと思います。

 

特別な個人ではない誰かが日々の営みの中でつくり上げてきたもの、「物」に限らず、姿や在りようも、美しく愛おしいです。

 

 

 

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM